【中間時代の恵み】
中間時代の恵みは、何といっても70人訳聖書である。
これによって、新約聖書の著者たちが聖書を書く時に、旧約聖書を正しく引用できたし、パウロが短期間のうちに世界宣教ができた。
・北王国イスラエルは、BC720 アッシリアによって滅亡(民族同化政策)する。
・南王国ユダは、BC586 バビロンによって滅亡する。
・バビロンは、その後、アケメネス朝ペルシャに滅ぼされ、キュロス2世の時に、ユダヤ人がバビロン捕囚から解放され帰還が許された。
・ペルシャ帝国は、その後、マケドニアのアレクサンドロス大王の東方遠征によって滅亡する。(ダレイオス3世)その後、ガザを占領し、エジプトにも侵攻しアレクサンドリアを創設、ギリシア語が世界標準語となった。
しかしアレクサンドロス大王は、BC323年、バビロンで死亡する。
・その後、帝国は後継者たちによって分割され、ユダヤは、エジプトのプトレマイオス王朝の支配下に入る。
・この時に、ユダヤのヘリニズム化が進み、アレクサンドリアで、ヘブル語聖書がギリシア語に翻訳し始められた。(70人訳聖書)
・その後、ユダヤの支配は、プトレマイオス王朝から、セレウコス王朝シリアに移る。
・そして、BC166年〜BC142、ユダヤ人の独立戦争であるマカベア戦争によって、事実上の独立国家となった。これをハスモン朝のユダヤ国家(ハスモン王国とも言う)が、その後内紛が続き、ローマの介入を受けることとなる。
※セレウコス朝シリアのアンティオコス4世は自ら「現人神」と称し、エルサレムのユダヤ教の神殿に対し、ゼウス神殿と呼ばせ、違反者を死刑にすると命じた。
ユダヤ人は豪族のユダ=マカベウス(マカベウスのユダ)に率いられて反セレウコス朝の戦いに立ち上がった。長期にわたる戦争の結果、ユダヤ人は自治が認められ、前142年ユダの弟シモンを祖とする、ユダヤ教国家(ハスモン王国)が成立した。
BC63年には、ローマのポンペイウスによってエルサレムが占領され、神殿は破壊されて、ハスモン家の支配者の王位は剥奪され大祭司を名乗ることだけが許されて事実上滅亡し、ローマから派遣されるシリア総督の支配を受けることとなった。その後もハスモン家の反ローマ活動によって不安定な状況が続いたので、ローマ元老院は前40年に親ローマ派のイドマヤ人ヘロデをユダヤ人の王として認め、ヘロデ大王はローマの力を背景に全パレスチナの支配を目指し、前37年に最後のハスモン王家の当主を殺した。これによってハスモン朝は完全な終焉を迎えた。