【カル・ヴァホメル】
聖地旅行に参加すると、キリスト・イエスが、100%人間として、2000年前のイスラエルに生きて、そして100%神であることが、視聴覚教育を持って体感することができます。
目の前で起こる癒しや不思議だけが「しるし」なのではありません。神の存在を証明する最大の「しるし」は、歴史です。特に、イスラエルの歴史の中に神の存在の証明があります。過去に起こったことについて学ぶなら、まだ起こっていないことも、必ず起こると確信出来るようになります。
イエスの復活が、事実であることを論理的に説明しようとすれば、この私でさえ10個は挙げられることができますが、論理的に説明がつくことと、信仰とは別の問題です。
ある回の聖地旅行に求道中の方が、2名参加しておられ、園の墓の教会の中で静まり福音の三要素について確認をしたところ、3つともイエスでした。しかし、救われた確信がないとおっしゃるので、その場でカウンセリングが始まりました。
ポイントは、神が用意された救いのプランと、人間が考える救いのプランとを、天秤にかけているということでした。「神がそれで良いと言われているものを、あなたが違うと言っていることは、神の基準をあなたの基準に落としていることになる。今までの行いが、救いの条件なのであれば、、、そんなん言うんやったら、永山さんは、どうなるの? 仏教徒として、パウロみたいに、クリスチャンを攻撃してて、そんなんやったら救われないやん、、、、」と、参加者全員が、シーンとカウンセリングを見守る中で、いきなり、ラビ的例え話、「カル・ヴァホメル(大から小)、、、、いや、そこですか、、、、。と、会堂の中が笑いと涙に包まれて、二人は、誠に救いの確信をお持ちになられました。
ミドラシュとはラビによる聖書解釈(注釈)で、聖書の字義通りの意味よりさらに深い意味を探っていく解釈法です。ミドラシュにはいろいろな解釈法があります。たとえばヒレルという高名なラビ(パウロの師であったガマリエルは彼の学派に属していました)は7つの解釈原則を唱えました。
その一つにカル・ヴァホメル(「小から大」。原義は「軽いものと重いもの」)という原則があります。これはより重要でないことがらに当てはまる原則は、より重要なことがらにはさらによく当てはまる、という解釈原則です。
ローマ書5章15-21節でパウロはこのカル・ヴァホメルを用いています。
ひとりの人アダムの違反によって罪と死が人類に入ってきたとすれば、ひとりのイエス・キリストによる義といのちはそれにもましてすべての人に満ち溢れる、ということです。