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【「いのちの書」と「小羊のいのちの書」】

 クリスチャンにとって、天国とは、イエスが地上再臨されるまでの間、死んだ「信仰者」が空中再臨として、留め置かれる「待合室」のようなものである。
そして、驚くべきことに、イエス再臨後の「千年王国」ですら、最終の住処ではないのだ。

私たちの究極の目的地は、シャカイナグローリーに包まれた、新しい天と地である。そこにはもはや、月も太陽もない。神の栄光が都を照らし、小羊そのものが都のあかりだからである。

 そこに入ることのできるものは、「小羊のいのちの書」に名が記されているものだけである。

まず、「いのちの書」とは、この地上に誕生したすべての人の名が書き記されたものである。しかし、罪人のままで死んだ人の名は、その書からは消し去られる(詩篇139:16、69:28、黙示録3:5参照)。
罪人のさばきは、「いのちの書」からその名が消されていることを確認した後、「数々の書物」に記された内容に従って行なわれのである。

一方、「いのちの書」とは別に「小羊のいのちの書」というものがある。
これは、信者の名が記されたものだ。信者の名は天地創造の前からその書に記されている(黙示録13:8、17:8)。

最終的には、「いのちの書」と「小羊のいのちの書」に記されている名前が同じになる。ゆえに、神の恵みに応答するものは、幸いです。

 

黙示録 21

1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。

2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。

3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、

4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

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