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許す】

「許す」というのは、相手と自分との意見が合わないけれど、さまざまな条件を鑑みた結果、自分の方が正しいけれど、かぶとを脱ぐ行為。ちょうどそれは、王様が家来のあやまちに許しを与えるがのごとくです。

しかし、「許す」というのは、本来は互いの考えを深めたことによる結果、得られる特性のはずです。

一方、法律や裁判、宗教的「罪」においては、「赦す」という文字が当てられます。

しかし、人間同志において、真の「罪」から「赦し」を与えることは誰にもできません。

「赦し」を与えることができるのは、イエスだけです。

私たちは、自分の「罪」に対して、真の神からの「赦し」を得たという確証があって初めて、互いに許し合える関係になれるのです。

互いの考えを深めること、それは罪赦された喜びの中にある各人が、心の中に刺さっているトゲを1本、1本、抜く作業のようなものです。

 

ところで、ある調査によると、人を「許し」そして「忘れる」ことができないと、体内の血液がより早く凝固、赤血球が増加し、胃の筋肉が収縮し、腸内の消化活動を妨げてしまうのだそうです。

「許せない」というこの強烈な感情は、自己免疫力も落としてしまい、様々な病気の原因にもなり得るのです。

 

(マルコ 2:1~12)

1 数日たって、イエスが再びカペナウムに来られると、家におられることが知れ渡った。

2 それで多くの人が集まったため、戸口のところまで隙間もないほどになった。イエスは、この人たちにみことばを話しておられた。

3 すると、人々が一人の中風の人を、みもとに連れて来た。彼は四人の人に担がれていた。

4 彼らは群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、イエスがおられるあたりの屋根をはがし、穴を開けて、中風の人が寝ている寝床をつり降ろした。

5 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。

6 ところが、律法学者が何人かそこに座っていて、心の中であれこれと考えた。

7 「この人は、なぜこのようなことを言うのか。神を冒瀆している。神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。」

8 彼らが心のうちでこのようにあれこれと考えているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを考えているのか。

9 中風の人に『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。

10 しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、中風の人に言われた。

11 「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」

12 すると彼は立ち上がり、すぐに寝床を担ぎ、皆の前を出て行った。それで皆は驚き、「こんなことは、いまだかつて見たことがない」と言って神をあがめた。

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