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【重荷】

 私たちは他者に対して、また自分自身に対して責任を負います。

 聖書は、

(ガラテヤ人6:2)

「互いの重荷(baros)を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい」

と言っています。

このみ言葉は、互いに対する私たちの責任を表しています。

 

一方で、

(ガラテヤ6:5)

「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷(phortion)がある」

とも言っています。

 

しかし、教会や社会には、全体の「重荷」を一人で負って苦しんでいる人がたくさんいます。  

誰しも、その人にしか負うことのできない責任を持っています。

これが私たち自身の「重荷」です。

 

つまり、神が私たちに与えた「日々の労苦」を、責任を持って自分で対処することが求められています。

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