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【啓明と啓示】(2021.3.27)

 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ1:20)

とあるように、神は自然を通して語られました。

次に、神は、預言者たちを通して語られました。

そして、神は、イエス・キリストによって語れました。

聖書を読むと、神からの啓示が、一時にではなく漸進的に与えられていることが良くわかります。そして大事なポイントは、その与えられた啓示は、すでに完結しているのだということです。

 

 聖書が啓示された時代と、現代の私たちの間には、3つの隔たり(時間的、地理的、民族・文化的)があって、これを意識せず、現代の知識で読み込んでしまうと、様々な個人的な解釈をしてしまう危険性をはらんでいます。そうすると、時には、私は新しい啓示を与えれられたとか、預言者として、使徒として啓示を受けた、、、などというおかしげなことになりかねません。

 

 「啓示」と「啓明」を混同させてはならないのです。

神は、人類にいろんな方法で語られました。

世の中には、いかに知的に聖書を知っていても、それを愚かと考える人がたくさんいます。つまり彼らには、聖霊の内在がないので「啓明」を体験することができないのです。

神の語りかけをキャッチし、「啓明」を体験できるのは、聖霊の働きがあるからです。聖霊は、求道者には外側から働きかけておられ、そして、イエスを信じた瞬間に、聖霊はその人に内住してくださいます。

これは、究極的には神の主権と、人間の自由意志の関係に収斂(しゅうれん)していきますが、聖書は、神の主権も、人間の自由意志も真理であると教えています。私たちは、その両方を受け入れておく必要があります。

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