【第一次ユダヤ戦争】
BC63 ポンペイウスがエルサレムを支配して以降、ユダヤ地方はローマの間接支配になっていた。
かの地をローマが抑えるのは、そこがヨーロッパ、アジア、エジプトを結ぶ交通の要所だからである。
さて、ユダヤ人には、律法があり、他の人種とは、かなり異質であるので、ユダヤのことはユダヤに任せようとの戦略で、ヘロデ大王が、このユダヤを治めていたのである。そして、AD4年にヘロデ大王がなくなると、この地域は3つに分割統治される。
ヘロデ アケラオがユダヤ、ヘロデ ピリポが北東部、ヘロデ アンティパスがガリラヤ地方だ。
しかし、アケラオの治世はあまりにも酷く、ユダヤはローマの直接支配となるのであるが、しばらくしてローマと親交があった、ヘロデ・アグリッパ1世がユダヤを治めていた。
第1次ユダヤ戦争は、このアグリッパが、AD44年に、虫に噛まれて死んだ後の出来事です。
再び、ユダヤをローマが直接支配(アグリッパ2世と共同)するようになったが、この時のユダヤ総督フロルスが、カイザリアでユダヤ人を殺し(パンとサーカス)またエルサレムのインフラ整備のために、神殿から宝物を持ち出したことに対して、ユダヤ人たちが暴動を起こすのである。
フロルスは、首謀者たちを磔刑に処するが、このことで暴動が本格的に戦闘へと化していくのである。AD66年のこと。
ローマの皇帝ネロは、シリア総督のガルスにエルサレム鎮圧に向かわせるが、うまくいかず、ウスパシアヌスとティトスに制圧に向かわさせる。
しかし、間も無くエルサレムが陥落するという直前になって、急にウスパシアヌスは、撤退していくのである。
おそらくローマで、ネロ暗殺計画があり、そのために戻ったのだと考えられている。
ネロが自殺した後に、今度は、ティトスがエルサレムを包囲し、そしてエルサレムは、AD70年に陥落する。
一部の、先鋭は、エリエゼル・ベン・ヤリールをリーダーに、マサダに籠城しさらに約3年間戦うが、AD73年、自決をもって第1次ユダヤ戦争が終わる。
アグリッパ2世は、カイザリアでパウロに尋問をした、アグリッパ王のこと
・ヘロデ大王
・ヘロデ王(アグリッパ1世)
・アグリッパ王(アグリッパ2世)