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【能動的不信仰・受動的不信仰】(2021.4.25)
クリスチャンだけでなく、とかく日本人は、財を罪と考えている節があるが、それは大いなる間違いである。物質の重要性を否定してはならない。バランスを崩し、物質に捉われることが問題なのです。
将来への不安は、不信仰から出ています。
不信仰が能動的に働くと、富の追及に至ります。
不信仰が受動的に働くと、思い煩いに至ります。
○能動的不信仰
(マタイ 6:21)
「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」
①地上の富に心が囚われているなら、その人の心は地上にある。
②天に宝を蓄えている人の心は、天上にある。
③富に仕えている人の問題は、本来あるべき人生を生きていないことにある。
○受動的不信仰
(マタイ 6:30)
「きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち」
思い煩いは、信仰の問題である。
物質主義と思い煩いが否定される理由は、
①神から与えられた人生も、その目的も、破壊されるから。
②神を愛し、神を礼拝し、神に仕えることが、人生の目的であるから。
③神は、私たちがその日その日を、喜んで生きることを願っておられるから。
※物質主義が悪なのでは決してありません。
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